2011年07月02日

カンカン帽復興はまだか 3年目

というわけで、今年もカンカン帽の記事を書いとかないとね

あらためて申しますと、かつて我が国、だけではなく世界中で流行していた男性用夏の帽子、カンカン帽がまた世の中の男性の間で流行ればいいな、と思っている
という事ですね

大久保好六 シリーズ東京より
写真 大久保好六 シリーズ東京(1930~1935)から

どうです、カッコイイでしょ
女性の白い夏服もいいですね

一昨年、カンカン帽は消耗品だったのか、と書きましたが
どうだったのでしょうか、こういうクリーニング屋さんもいたようです

麦稈帽子 洗濯
昭和7年

自転車で回る露天営業のようですが、最新式化学的クリーニングですよ

ここでは「パナマ」と「ムギカラ」と書いてあります、「ムギカラ」がカンカン帽のようですね

「カンカン帽」というのはいつごろからそう呼ばれるようになったのでしょうかね

麦稈帽子 広告1

麦稈帽子 広告2
どちらも昭和13年の新聞広告

広告でも「パナマ」と「麦稈帽子」となっています
「麦藁」ではなく「麦稈」
どちらも「わら」と読みますが、音読みすれば「藁ーこう」「稈ーかん」ですから、乾いた稈で「乾稈(かんかん)帽子」と呼ばれるようになりました
という新説を唱えてみましょうか、まことしやかに

広告によると、麦稈帽子は75銭〜1円ぐらいからのようですから、7銭の化学的クリーニングでキレイになるならお得ですね


1934年のアメリカの紳士
おしゃれ

Boater Man
この写真はshorpy.comから

ではまた来年


関連記事:
カンカン帽はかえってくるのか
今年もカンカン帽復興を願って
カンカン帽復興への道 4年目
カンカン帽復興祈願 5年目
 
タグ:カンカン帽
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2011年06月22日

手紙文例集より 其の四

さて、「婦人倶楽部」昭和十年二月号付録「婦人手紙文全集」より
昭和のお手紙風画像を作る、の第4回です

今回は「忘れ物について問合せる〜娘から友人へ〜」
という事で、深田久彌氏の文例となっています


手紙文例04−1

手紙文例04−2


どうなんでしょうか
戦前ユーモア、みたいな感じでしょうか

嫌いじゃないですけども

深田久弥という人は、この本ではこの様に紹介されています

深田久弥
昭和七年十一月、雑誌『改造』に『あすならう』を発表して、素朴な独自の作風を推賞され、一躍文壇にデヴューした新進中の巨星であります。生まれは石川県大聖寺町、福井中学から一高を経て、東京帝大文科に修業されました。一時改造社に勤務、作家中の登山家との定評があります。
となっています、しかしこの「あすならう」や、出世作「オロッコの娘」など、この時期の作品は、同棲中で後に入籍する女流作家、北畠八穂が書いたものなのだそうです
いろいろと事情があったようですが、戦後北畠側から暴露されたりしています

北畠八穂
北畠八穂(きたばたけ やお)
この名義で作品が発表されるのは戦後になってからです


信用を失った深田氏ですが、その後山岳関係の著述で復活します

登山をしない人でも聞いた事がある「日本百名山」を選定したのは、この人なのだそうですよ
さすが作家中の登山家ですね

ところでこの文例集が出された昭和十年は、同棲時代の真っ最中ですが、この文章は深田作か、北畠作なのか

まあどちらでもいいか
 
タグ:手紙文例集
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2011年06月16日

カルピス特集

またの名をスピルカ特集

というわけで、カルピスの美味しい季節になってまいりましたね。
子供の頃はもちろん、大人になっても美味しいカルピス。

そんなカルピスのポスターなどを集めてみました。

発売は大正8年。
複数案あった中から「カルピス」という名前に決定したのは作曲家の山田耕筰だそうです。
音の響きが良かったのだとか。

国際懸賞募集ポスター 3等

おなじみの黒人男性の図柄、平成元年まで、長くカルピスのトレードマークでした。
これはドイツ人のオットー・デュンケルスビューラーという人のデザインだそうです。
何故ドイツ人なのかというと、
大正13年に開催された「カルピス国際懸賞ポスター展」の入賞作だからです。
この懸賞は、第一次大戦後の欧州の画家救済の目的で、当時のカルピス製造社長三島海雲が独仏伊の三国に向けて作品を公募したそうです。

上の黒人男性のデザインは実は3等入選で、

1等はこちら。

国際懸賞募集ポスター 1等
アンロ・イエーネ作

2等

国際懸賞募集ポスター 2等
マックス・ビトロフ作


その他にもいくつか

カルピス 伊原宇三郎(1928)
昭和3年

カルピス(1931)
昭和6年頃

カルピス(1932)
昭和7年頃

カルピス 赤羽喜一(1937)
昭和12年 すでに左からカルピスになってますね。


では今年もめっぽうかいにうまい「カルピス」いただきます。

カルピス 大正8年

大正8年 400ml 1円60銭

関連記事:
カルピス特集 その2
 
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2011年06月10日

クイズ懸賞広告

さて、「バスクリン」といえば、おなじみの入浴剤ですが
発売されたのが昭和5年だそうですから、この商品も思いの外歴史があるんですね

バスクリン1930

「津村順天堂」という古めかしい社名も、私などには馴染み深いのですが、今の人にはどうなのでしょうか、現在の「ツムラ」ですね
ちなみに現在「バスクリン」を作っているのは{ツムラ」から独立した「株式会社バスクリン」という別会社なのだそうです、知りませんでしたね

当時のブリキ製の容器に描かれている艶かしい絵は、大正昭和期の挿絵画家として名を為す高畠華宵によるもの

バスクリン高畠華宵

高畠華宵は明治44年から津村順天堂の漢方婦人薬「中将湯」の広告に絵を描いています
おそらく多くの人が華宵の絵を初めて目にしたのが、その頃の中将湯広告であったのではないでしょうか

さて、「バスクリン」の前身として「浴剤中将湯」という商品がありまして

浴剤中将湯

これは、婦人薬「中将湯」を製造する際に出た原料の残りを、ある社員が家に持ち帰ってお風呂に用いたら大変具合が良いという事で商品化された日本初の入浴剤です
当時はこれを銭湯で使う事が大いに流行りまして、今でも各地に「中将湯温泉」という名のお風呂屋さんが残っているそうです

中将湯温泉


さて々、そんな「中将湯温泉」で綺麗になりましたということで
「クイズ懸賞広告 出て来たスターは誰でしょう by中将湯温泉」

中将湯温泉広告
クリックで拡大
盛り沢山の商品
当選率多し

課題
皆様お馴染の映画のスター連が今し方「中将湯温泉」から出てきた所です。
この女優は誰々でせうか。
お解りになつた方は裏面の設定を御覧になつて御投票下さい。

はいこれが本日のメインの画像なんですけど
前置き、なが

で、誰が誰かという事ですが

わかりません
答えありませんでしたので

年代的には、バスクリンが出る昭和5年までだと思いますが、正確にはわかりません

がんばって調べても正解かどうかもわかりませんし
クイズに挑戦するのは止める事にしました

知ってる人がいたら教えてね
 
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2011年06月05日

「ムーランルージュの青春」

ここ数日、明日待子さんの検索からの訪問が多いので、どうした事かと思っておりましたら、こういう映画が完成していたのだそうです
情報弱者である私は、ちっとも知りませんでした

「ムーランルージュの青春」

なにぶん御高齢ゆえ、ちょいと心配してしまった訳ですが
そんな事は杞憂でございまして、3日に北海道から上京し、佐々木千里氏の墓参、試写会の舞台挨拶などをされたそうです

SANSPO.COM
明日待子、62年ぶり“銀幕復帰”!
 

シネマトゥデイ
AKB48の先駆け!?黒澤明も通った劇場「ムーランルージュ新宿座」を追った映画の舞台あいさつに当時のトップスター91歳の明日待子登壇!!


写真を見ると、大変お元気そうです

関連記事:
明日待子が可愛くて
公開迫る
 
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2011年06月02日

ヨーヨー流行す

さて、昭和8年
この年の流行は「東京音頭」だけではありません
「ヨーヨー」もまた、熱狂的に流行したのだそうです

ヨーヨー01
昭和8年大阪淀川公園にて

ヨーヨーというモノは、定期的に流行する物なのでしょうか
戦後にも何度か流行があったようで
私も子供の頃、そのいずれかに遭遇している気がするのですが

この昭和8年の大流行というのは、その前年に欧州や米国で大流行し、その波が我が国にも押し寄せた
ということらしいです

なんかスペイン風邪みたいですけど

どれぐらい流行っていたかというと

ヨーヨー02

子供から

ヨーヨー03

お年寄りまでは言うに及ばず

ヨーヨー04

自転車に乗りながら

ヨーヨー05

天秤棒を担いで

ヨーヨー06

お店番の最中に

ヨーヨー07

女学生スケートしながら

ヨーヨー08

靴を磨いてる間も

ヨーヨー09

ダンスホールでも

ヨーヨー10

アパートの2階から

ヨーヨー11

橋の上から

ヨーヨー12

大会です

ヨーヨー13

一日三千個作ります

舶来品は一個3円、日本製は10銭ぐらい

とまあこれぐらい流行っていたわけです

 写真は アサヒグラフ昭和8年3月8日「遂にヨーヨー時代来る」という記事から


この年のヨーヨー大流行を現す出来事で、よく語られますのが、国会議事堂警備中の警官が勤務中にヨーヨーをしていて、懲戒免職になったという話
スケバン刑事はヨーヨーで大活躍したんですけどね


検索していて見つけた面白い本
「ヨーヨーの競技と遊び方」昭和8年
こちらのブログ

めっぽう面白いので画像で読んでみてください、特に「ヨーヨーの効用」


昭和8年小津安二郎監督の映画で「非常線の女」という作品がありまして
田中絹代、岡譲二主演のサイレント、都会的ピカレスク、なんかちょっとカッコイイ映画なんですが
この中の、序盤のダンスホールのシーンで、ホールにいる女性達が盛んにヨーヨーをしている場面があります

非常線の女01

非常線の女02

ちょうど流行っていた頃だったのでしょうかね


熱狂的なブームというものは、冷めるのも早い
ということで、この流行は、翌年の半ば頃には集束したそうです


ヨーロッパでも大流行中だった1932年
ポーランドのジャズ演奏家、アダム・アストンが吹き込んだ
「Yo-yo」という歌がありました

Adam Aston
Adam Aston


Foxtrot from Warsaw -Adam Aston: Yo-yo, 1932
 
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2011年05月25日

二人のKOYO

さて、先日の四天王寺古書市で買って来たのはこの本です

昭和の東京

石川光陽著「昭和の東京〜あのころの街と風俗〜」朝日新聞社刊

奇しくも昨年秋の古書市で買ったのが影山光洋の写真集でした

同じ時期に東京の街を撮影していた二人のKOYO
ひとりは朝日新聞社所属の報道カメラマン影山光洋
そしてもう一人は、警視庁写真係、警察官として東京の街を記録した石川光陽です

石川光陽
石川光陽氏

石川光陽氏は、東京大空襲の被害を写真で記録した人、として知られていますが、事件や事故以外にも、戦前の街の風景をたくさん撮影されています
この本にも空襲や、戦災後の街の様子も掲載されていますが、多くはそれ以前の東京のいろんな街の様子が写された写真で構成されていますので、幾分気が楽です

二人のKOYO氏に共通している事は、記録者としての意思、という事ではないかと思いました
戦後、GHQに空襲時の撮影ネガの提出を求められた石川氏は、頑としてこれを拒否し、庭に穴を掘って埋め隠したそうです
一方影山氏は自分が撮影した写真と詳細な記録を会社用とは別に作って、静岡の山奥に疎開させていた、本来は空襲対策だったのでしょうが、結果的に終戦時の軍による焼却をまぬがれたのだそうです

カメラマンにとってネガは命、記録者の魂だったという事かもしれません

銀座晴海通り(昭和9年)

表紙の写真は以前「銀座モダンガール」のFlashで使ったものでした


ちなみに二人のKOYO氏は、ともに本名ではありません
石川光陽 本名武雄 昭和2年警視庁入庁(23歳)
影山光洋 本名正雄 昭和5年朝日新聞入社(23歳)

同じ呼び名を持つ二人のカメラマンは、警察と報道という立場は違えど、同じ時代の、同じ風景に、それぞれのライカを向け続けました
あるときは穏やかに、あるときは決死の覚悟で

そして自分たちの作品を守ってくれました

おかげで我々は何十年も前の失われた街の風景や、人々の姿を見る事が出来る、という事ですね


東京大空襲の全記録
グラフィック・レポート-東京大空襲の全記録-森田写真事務所


痛恨の昭和
グラフィック・レポート-痛恨の昭和-石川光陽


 関連記事:

影山光洋

 


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2011年05月16日

時々キネマ文字 洋画篇(3)

さて、第三回です

海の巨人 1930

「海の巨人」Moby Dick (1930)
メルヴィル作「白鯨」の映画化ですね
海の泡のイメージでしょうか、丸を効かせたデザイン

mobydick 01

オリジナル
小さいのしか見つからない、これも顔の向きを変えています

と思ったらこんなのが

mobydick 02

ホントはどっち向いてるんだバリモア氏、て事ですけど
なんにせよ一番迫力があるのは「海の巨人」のバリモア氏ですね、執念の男エイハブ船長の横顔としてはこれくらいテカってませんと

併映は「魔天街の銃声」
こちらはニューヨークを舞台にした踊り子活躍の犯罪もの
「摩天街の銃声」と表記されている事が多かったですが、ポスターでは「魔天街」ですね


ボージェスト

「ボージェスト」Beau Geste (1926)
いい字ですね、ボージェスト
縦書きを考慮したデザインになっております
併映の「流行の寵児」もいいですね、寵児がこうなりますかね
七日公開もいい、松竹座もいい、全部いいですね
ただこの、ロナルド・コールマン氏の顔は、もうちょっとキリッとした表情はなかったのでしょうか
コールマン髭の人ですよね、二枚目のはずなんですが

オリジナルはどうなっているのかと思って探してみましたが
「ボージェスト」は、1939年制作のゲーリー・クーパー主演版がメジャーなようで、数少ないコールマン版がこれ

Beau Geste

え、どれがコールマン?
コールマン髭なら一番下の人ですけど
下敷きになっているの?
主人公なのに?
大丈夫ですかコールマン氏!

というわけで、日本版ポスターの疲れた表情は見つかりませんでしたが

Ronald Colman

このへんが近いかも
やっぱり二枚目じゃないですか

ところで、我が国では外国映画に邦題を付ける習慣が昔からあったようですが、この「ボージェスト」は原題のままですね
なぜ「熱砂の三兄弟」ではなく「ボージェスト」のままなのか
変える変えないの基準はどこにあるのか、と考えたんですが

これはどうも日本人好みの響きを持つ人の名前、みたいなシリーズがあるのではないか
「ボージェスト」「ジェーン・エア」「リオ・ロボ」「ベン・ハー」意味は判らんがなぜか興味を引かれる響き「アンナ・カレニナ」「チザム」「セルピコ」観に行こか
となるわけですね
なりませんかね

併映「流行の寵児」は人気のジャズ・ミュージシャン、テッド・ルイスが主演で、
ジャズバンドマスターがジャズバンドマスターになる人を演じた映画です


舞踏会の手帖 1938

「舞踏会の手帖」Un Carnet du Bal (1937)
名作でました
1937年にもなりますと、タイトル以外は活字っぽいですね
黒のバックに主人公マリー・ベルの肖像
文字の色も統一が取れてすっきりとしています

Un Carnet de Bal

絵柄はこのシーンか?
スチールからでしょうか

これは公開用ポスターではなく、ギャラ・プレヴュ用ということです
なんでしょう?ギャラ・プレヴュって

GALAはガラ・コンサートのガラでしょうかね
何か特別な、イベント的な、プレミアムな感じの
試写会みたいな事でしょうか

ずいぶん洒落た事をしていたんですね、昭和13年

さすが舞踏会の手帖ですな

本国版もイラスト仕様ですが

Un Carnet du Bal

Un Carnet du Bal

Un Carnet du Bal

なんか日本版の絵の方が洗練されてる気がしますよ


ということで
かってな事を言ってきましたが

今回は洋画篇を見てきました
当時の洋画ポスターは、タイトル文字とともに、その絵柄も我が国で改めて描かれた物が多いようです
多くはオリジナルを元にした模写になりますが、その上に何かしらの工夫を独自で加えようとした気持が見て取れます
単に英語の部分を日本語に変えただけでは気がすまない
そのあたりが職人、ということでしょうかね

いいですねそういうの

以上、キネマ文字鑑賞でした

関連記事:
時々キネマ文字 洋画篇(1)
時々キネマ文字 洋画篇(2)
 
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2011年05月14日

時々キネマ文字 洋画篇(2)

さて、前回の続き


ラヴ・パレード 1930

「ラヴ・パレード」The Love Parade (1929)

派手ですね、自由・平等・博愛
主演のモーリス・シュバリエ氏は御写真で登場、笑ってます

The Love Parade

本国版、こちらも笑ってます
「女王と士官の恋をエロティックに表現したオペレッタ作品」
となっています
アカデミー賞ノミネート6部門
なかなかの傑作なのです

細かい文字も秀逸

小さい文字

併映「俺は水兵」はジョージ・K・アーサーとカール・デーンのコンビによる喜劇
「俺は探偵」「俺は曲芸師」につづく「俺は〜シリーズ」
て言われてもよくわかりませんけれど

実演は松竹楽劇部
「レヴュウ民謡の旅」
また小さい文字を読んでみましょう

大阪朝日新聞所載・西條八十氏作・中山晋平氏作曲・古家新氏舞台意匠・江川幸玉案並振付・花柳輔蔵振付杵屋正一郎編曲望月太明蔵歌曲玉置清背景制作
後半ハイフンなくなってよくわかりませんが

とにかく朝日新聞で昭和5年7月〜8月に連載された「民謡の旅」という西條八十の旅日記を元にしたレヴュウなんですね
まとめて一冊の本として出版されるのが10月
この映画の封切が9月ですから、慌ただしいレヴュウ化ですね
それとも最初からレヴュウ化前提だったのでしょうか、朝日松竹タイアップ的な
売れっ子西條八十先生ですからね


暁の偵察 1930

「暁の偵察」The Dawn Patrol (1930)

そのころアメリカで流行していた”航空映画”の一作

The Dawn Patrol

おお、見上げる方向が違う
文字を入れたりデザインの都合で、こっちを向いてほしい、あっちを向いてほしい、なんて事はよくありますね

オリジナルはシンプルな黄色バック
日本版は暁感を出しましたね
「暁の〜」というタイトルの映画がよくありまして
洋邦問わずあります、戦争物に多い気がします
この”The Dawn Patrol”は原題的にも「暁の偵察」で無理がないですから、このあたりが起源なのかも知れません

併映は「戦線膝栗毛」て
原題は”Ham and Eggs at the Front”
このハムとエッグスというのは登場人物の名前だそうです
「ハムとエッグス前線へ行く」というところですが、二人組の珍道中なら「膝栗毛」となるわけですね

気になりますのは実演
「オオサカカジノフォーリー公演 野球病患者」
大阪カジノフォーリーって?

出演者が書いてあります
町田金嶺 名村春操
若水玲子 登喜岡八千代

町田金嶺氏は浅草オペラではビックネームの部類、名村春操氏も名のある俳優さんです
女性の二人は、戦後まで映画出演などに名前が見られますがこの頃の所属はわかりませんでした
この大阪新世界松竹座のポスターにある公演が1930年か31年だとすれば、本家カジノフォーリーは第二次カジノから榎本二村両名が分派して新カジノフォーリーを結成した直後あたりでしょうか
以前このブログで紹介しました劇場新装の口上看板が1931年の4月ですからちょうどその頃でもあります

カジノ・フォーリー01
関連記事:カジノ・フォーリーの口上

「改装中、仙台盛岡を廻りまして〜」なんて言ってましたから、巡業の一環で関西出張もありましたかね
とはいえ、町田金嶺、名村春操の両氏がこの時期カジノフォーリーに所属していたかどうかは定かでありません
勝手に名乗ってやっていたとは思いませんが
1930年といえば川端康成の「浅草紅団」が出版された年で、カジノの知名度は全国的、集客力も相当あったのではないでしょうか

というわけで、これも「謎」のままほったらかしにしてしまいますよ

また脇道が長くなりました
以下次回で

関連記事:
時々キネマ文字 洋画篇(1)
時々キネマ文字 洋画篇(3)
 
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2011年05月12日

時々キネマ文字 洋画篇(1)

さて、キネマ文字鑑賞
今回は洋画のポスターで、オリジナルとの比較などをしてみますよ

ドン・Q 1925色付罫線の画像は拡大できます

「ドン・Q」Don Q, Son of Zorro (1925)
ドン・Qって何?と思ったら、怪傑ゾロの息子らしいです
ダグラス・フェアバンクス主演の活劇ですね

Don Q Son of Zorro

こちらがオリジナルみたいですけど、よく見ると

ドン・Qの比較
左 オリジナル  右 日本版

なんか日本版の方は、フェアバンクスじゃなくて、クラーク・ゲーブルに似ている気がするんですが
このポスターは大正期のものだそうで、それが正しければおそらく日本で封切られた1925年(大正14)のものだと思います
しかしクラーク・ゲーブルが世に出るのはMGMと契約する1930年以降だそうです
1925年には端役で映画に出たか出ないかという頃で計算が合わない

というわけで推論は
日本版の顔はクラーク・ゲーブルではない
もしくは松竹座のポスターは1930年以降の物だ
あるいは正確に写したつもりが描いた人が下手でこんな顔になった

まあ三番目は絶対にないんですけどね

ちなみに併映の「救いを求むる人々」も制作年の1925年に日本公開されています
新宿武蔵野館の上映記録によれば
「ドン・Q」1925年10月15日
「救いを求むる人々」同12月4日
となっています
やっぱりポスターは1925年のものなんですかね、特別大興行ですし(関係ないか)

で、結論は「謎」ということで
まあいつもの事ですけど


四枚の羽根 1929

「四枚の羽根」The Four Feathers(1929)
原作はイギリスの愛国小説
最近では2002年にリメイクされたようで、六度目の映画化だったそうです
欧米ではおなじみの題材なんでしょうかね

The Four Feathers

これが本国版
この男性が主人公のリチャード・アーレンですね
本国版はなんかニヤけた感じですが
日本版のイラストの方がキリッとしててカッコイイ

イギリスでは白い羽根は臆病者の象徴なのだそうで、それを送られた人は、送り主が返してもらいにくるぐらい頑張って汚名を返上しなければならないとか、そんな話です

併映の「モダン三銃士」は士官学校を舞台にした青春もの
モダーン三銃士で検索した方がたくさん出て来ます

「コンサート・アーベント」は実演
洒落たタイトルですね「音楽とダンスの夕べ」的な感じでしょうか
細かい字を読んでみますと

伊太利民謡と日本のダンス音楽・・・競演
テナー歌手ボナヴイタ氏 舞踊家飛鳥明子嬢 ジャズダンサー若山千代嬢 独唱三浦環嬢

ボナヴィタ氏はともかく、飛鳥明子嬢は大阪松竹楽劇部において天才的な踊り手といわれた人、このポスターは昭和4年らしいので、引退の原因となった労働争議の4年前です
若山千代嬢も楽劇部のスター、三浦環嬢は御存じ世界のプリマ
実にこの「コンサート・アーベント」はなかなかの見ものでしたね


ええと2枚しか紹介してないですが、まだもう少しあるので次回に続けましょう
 
関連記事:
時々キネマ文字 洋画篇(2)
時々キネマ文字 洋画篇(3)
 
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2011年05月06日

細木原青起

男女逆転、とか、どっちが男だか女だかはっきりしない、なんて言われる時代は、定期的に巡ってくるのでしょうかね。
戦後になって、女性の権利が認められて「女が強くなった」と言われたり、
1970年前後には男性の髪の毛がやけに長くなったり、
最近では「草食男子」とかいうものが現れたり。

そこへ行くと戦前は、男は男らしく、女は女らしくあったもんです、
なんたって明治生まれの気骨というものがありましたから、

という事になりますが、ホントにそうだったのでしょうか。

細木原青起クリックで拡大
モガはひげが欲しかろう。
モボは乳房が欲しかろう。
おれたちの銀座だといわぬばかりに
幅をきかして歩くモガとモボかな。

これは昭和3年、細木原青起が描いた「世相漫画」です。

この時代の尖端風俗「モボ・モガ」はその呼び名が示すように男女ペアでやって来ます。
男女逆転、というか男女混合、というか、
そんな状況もすでにしてあったようです。

社会における地位や政治的な権利はともかく、風俗やモードにおいては男女同権は成立していた
なんて話もあります。

なんにせよ、この時代の「モボモガ物」は、眺めていてナントモ面白いですね。


さて、この細木原青起(ほそきばらせいき)という人は、明治から昭和にかけての漫画家・挿絵画家です。
岡本一平や近藤浩一路と同時期の人でしょうか。
リアル技術あってのカリカチュア、ということが一枚の絵の中に見て取れます。
とかそんなヤヤコシイ事いわなくても、このスッキリした線画は時代を超えた味わいがありますね。

この人は著作に「日本漫画史」(大正13年)というのがあって、それ以前の日本漫画の歴史の、いわば基準となっている文献なのだそうです。

日本漫画史

鳥獣戯画までさかのぼって、考察されているそうですよ。
どんな事が書いてあるのか興味深いところですが、
現在「青空文庫」で作業中のようで、遠からず読む事が出来るかもしれません。

追記:

その後、青空文庫より先に国立国会図書館近代デジタルライブラリーや、Googleブックスで無料閲覧できるようになっていました。


近代デジタルライブラリー

Googleブックス(口絵カラー)



細木原青起クリックで拡大

漫画家が見た断酒を説く人の裏面
 
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2011年04月25日

小包山を為す

さて、今月は三越特集にしてしまいましょう

前回も少しふれましたが、三越は明治時代にすでに通販事業を手掛けていました

明治33年「地方係」という部門で、個人の郵便による購入注文を受付たのだそうです

明治33年の広告(三井呉服店時代)

三越通販01
クリックで拡大
地方より註文の事
三井呉服店へ、地方から御手紙で御註文を申越されますときは、十分御便利な方法で直ぐに御届けを致しまするゆゑ、御好みの趣(おもむき)を詳しく御書添へを願ひます、(付録、地方御注文の栞を御覧下さい)

明治44年には専用電話を24本引いて電話注文にも対応しています(テレフォンショッピング!)

三越通販02
三越カタログ(大正13年)

大正初め頃の三越通信販売部の事務室

三越通販03
クリックで拡大

仕事をしているのは着物に坊主頭の手代さん風、部屋は洋風の椅子机の事務室、机の上には算盤と反物

いそがしそうですね
大正時代中頃まで、通信販売は意外と盛んだったそうです
しかし、セキュリティの確立されていない時代でもあり、悪質な業者や詐欺行為などが増えてくると、通販事業は信頼を失い、一旦の衰退を迎える事になった、という事です
 
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2011年04月21日

新案家庭衣装あはせ

今回も、三越モノで。
今月は明治大正月間みたいになっておりますが。

遡って明治43年、「みつこしタイムス」という冊子の付録を見てみます。
「新案家庭衣装あわせ」
カードゲームですね。

家庭衣装あわせ上
家庭衣装あわせ下
でっかいので二分割 クリックで拡大

どのように遊ぶのかといいますと。

【使用法】
此の新案家庭衣装あわせの使用法は、先づ大体に於いて家族あわせと同じような方法でお試しになればよろしいので、先づ此の付録を札の数だけ鋏にて切り、さて上列の「旦那様」「奥様」「男御隠居」「女御隠居」「御令嬢」「御令息」「坊っちゃま」「お女中」を親札として、よく切り交ぜ、始めに仲間に分けて置き、更に下の衣装、持物四十枚を子札としてよく切りて仲間の数だけ配り、親札の「旦那様」を持って居らるゝ方から順にその持物を頂戴に出かけるのですが、若し先の人の手になかった場合には今度はその人に親が移るので、自分の持って居るだけの親札の衣装や持物が揃えば先ず勝った人の部へ入るのです、若し又自分の持っている親札の衣装、持物が揃わないで居るうちに、先の人が上がった場合には、直ぐに親札を貰いに来ると云うのが、この衣装あわせの新案なところです、只親札は自分の上がらぬうちは貰いに行く事の出来ない規則で、何でも自分の持って居る親札の衣装持物を揃えてしまって、それから人の親札を貰いに出掛け、そして一組でも二組でも多く揃えた人が一番上がりになるので、人数は三人以上で御遊びになれば面白うございます。

はい、なんかちょっとよくわかりませんけど、
そんな感じで遊ぶらしいです。

みつこしタイムスは、明治37年の「三越デパートメント宣言」当初から大正三年まで配布されていたPR誌だそうです。

みつこしタイムス
みつこしタイムス(明治43年)


このゲームに現された家族像が、そのまま当時の三越が顧客対象としていた、都市部の中間富裕層、という事になるのでしょうか。
そして、現代人はこのような暮らしをしています、このような衣類道具を持ちましょう、これらはすべて三越であつかっています、というゲームの形を借りた商品カタログでもあるわけです。

「みつこしタイムス」は地方に対する通販用カタログの役割もあったようなので、まさに商品とイメージの両方を全国に伝えていた、ということかもしれません。

夢二や非水を使った華やかなビジュアル展開もそうですが、
三越というところは、実に上手に宣伝広告を使い、効果を上げ、ブランド力を付けて来ました。
そして現在に於いても、それは揺るぎない企業イメージとして確立されておる。
というわけですね。
誰なんでしょうか私は、偉そうですけど。

三越呉服店 1914
三越ポスター 杉浦非水(大正3年)


雑誌「三越」夢二01

雑誌「三越」竹久夢二(大正14年)


そんな私は、記憶する限り三越で物を買ったこと無いんですけどね、
庶民なもので。
 
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2011年04月16日

大正のリボン

今回も大正時代ですけど
前回の帝劇三越の記事でちょっと気になったところ


この絵の女の子と

今日は帝劇明日は三越02

小さい画像しか無いのですが、この左側のレートハミガキの広告の女の子は、同じようなリボンの結び方をしています

レートハミガキ

髪の毛を結わえるのではなく、なんだか鉢巻きのように頭にぐるりと巻いて、左右両側に大きく結び目を作る
そんな形に見えます

流行っていたのでしょうかね
気になったので調べてみたら、他にもいくつかありました

少女世界大正2年3月号

「少女世界」大正2年3月号


少女世界大正8年1月付録

「少女世界」大正8年1月号付録 少女おあそび双六


新少女大正5年1月号付録

「新少女」大正5年1月号付録 家族双六
これは竹久夢二画


少女世界大正8年1月付録2

これは片方
てっぺんに一つというのもあるようです、バリエーションでしょうか

なにか名前があるんでしょうかね「なんとか結び」みたいな


ところで、このリボンに関して画像検索などをしておりますと
時々現れたのがこの人

涼宮ハルヒの憂鬱

私のような者でもその名前ぐらいは知っている(内容はよく知らない)二次元の人気者、涼宮ハルヒ嬢ですけれども
彼女のリボンも同じような結び方ですよ

なんとハルヒちゃんのリボンは大正時代の流行だったのか

とか言ってみたりして
 
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2011年04月09日

今日は帝劇、

明日は三越。

ということで
本日は大正時代の事

先月Flash試作版を作る時に集めた資料より
現在でもおなじみの名フレーズ「今日は帝劇、明日は三越」の広告をいくつかご紹介しましょう

今日は帝劇明日は三越01

今日は帝劇明日は三越02

今日は帝劇明日は三越03

今日は帝劇明日は三越04

帝劇の筋書

「帝劇の筋書」と呼ばれたプログラム
この様に三越の広告は入っていたようです


これを見る人は、まさに今日帝劇に来ている人達ですから
そういう意味でもよく出来たコピーですね

1904年(明治38)三越呉服店が「デパートメントストア宣言」をする
1913年(大正2)帝劇プログラムに広告
1928年(昭和3)「三越呉服店」から「三越」に商号変更

ということいなっています
 
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2011年04月04日

昭和7年の一年生

四月になりまして、新入学の季節、ということで

本日の写真は、昭和7年の新一年生の登校です

昭和7年の一年生
クリックでちょっと拡大

元気な子供の姿は今も昔も変わらない、という事ですね
この年尋常小学一年生の人は大正14年度生まれ
現在は86歳ぐらいという事になります
新一年生の人数は、全国で168万5260人だったそうで
ちなみに昨年、平成22年度は112万2308人

子供の数は昭和56年からなだらかに減り続けておりまして
ベビーブームは第二次までで、第三次の波は我が国には訪れませんでした
 
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2011年03月26日

ハーモニカ流行す

あるいは流行歌を作る要素として

大正から昭和の初期にかけまして、我が国ではハーモニカがたいそう流行したのだそうです
ことにハイカラな若者達の間で人気があり、大学においてはマンドリン部とハーモニカ部は音楽活動の双璧であったとか
我が国独自で発達した奏法などもあるそうです

ハーモニカ

そんなハーモニカ用の楽譜が現在もたくさん残っております

レコード会社はまずレコードを出し、その中で売れそうなもの、売れてほしいものの楽譜を出版しました
楽譜にはハーモニカ用(十銭)とピアノ用(二十銭)があり、初版1千〜2千部ほどの印刷だそうですが、人気のあるハーモニカ用は版を重ねて数十万部(大雑把)も売れたものもあるそうですよ

ハーモニカ教本
ハーモニカ楽譜は数字

一般的に戦前のSPレコードにはカラフルなジャケットはなかったようですが、楽譜の表紙には様々に絵柄やデザインが凝らされています

君恋し
「君恋し」昭和3年

洒落男
「洒落男」昭和3年

当世銀座ぶし
「当世銀座ぶし」昭和3年

浪花小唄
「浪花小唄」昭和4年

都会交響楽
「都会交響楽」昭和4年

アラその瞬間よ
「アラその瞬間よ」昭和5年

ザッツ・オーケー
「ザッツ オーケー」昭和5年

女給の唄
「女給の唄」昭和6年


ラジオやプレーヤーが普及する以前、流行歌を作るのに大いに貢献したのがハーモニカ、と言えるかもしれません


我々にとってハーモニカといえば、小学校の授業なのですが、最近はハーモニカから、ピアニカ的なもの(鍵盤ハーモニカというらしい)に代わっているのだそうです

ハーモニカを吹いた事がない子供がいるなんて

まあ私ゃピアニカ吹いた事ないですけど
 
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2011年03月04日

昭和2年ー12年の街撮り

さて昭和前半期の街撮りシリーズ
今回は昭和2年と12年、その間十年の比較という趣向のようです

「この間十年経過〜銀座の流行〜」
アサヒグラフ 昭和12年6月30日
という記事から

どちらが2年でどちらが12年か
このブログの読者なら、写真だけでわかるはずっ
ですかね


昭和2−12年の街撮り01
流行を批判しようなぞと云う大それた気持は更々ないつもりながら、こうして並べて見ると、十年の足取りが一眼で分るのも面白い。
まさかお通夜の帰りでもなさそうなのに、揃いも揃って眠たげなお顔容。
蚊帳みたいな薄ものがひどく街を風靡して、桜田の旦那連の神経を尖らせたのも、思い起せば十年の昔、この頃、手を組んで歩くのは子供連れか、あんまさんに限ったもの……女人同士で腕を組み、足並揃えての闊歩なぞ……容姿以上に派手な気質のかわりかただ。

昭和2−12年の街撮り02
アッパパと云う簡単服にちょいと薄化粧したほどの洋装ながら、当時はこれでも大いに尖端を行ったスタイル、帽子に流行を見せたところがミソらしいが、凡そスカートの風色に至っては、ただもう暖簾の代用をつとめるのみ。
このお嬢さん達も、今頃はもういゝお母さんにおなりのこってしょう。

昭和2−12年の街撮り03
クララ・ボウと云う露出好きの女優さんが、全世界の男性をダーとさせた余震が、いろいろに形をかえて現れた当時の超モダーン・スタイル。
椎茸みたいな種痘の跡を、臆面もなく二の腕に現したところなぞ、どれほどに若者の気分を掻き乱した事やら……

昭和2−12年の街撮り04
ヘルメットのようなでかい帽子も当時の流行なれば、内股で小股で遊ばせ言葉も、あの時代の娘さん風俗にはつきものゝ気どりかたの一つ。

昭和2−12年の街撮り05
云わずと知れたあの懐かしい耳かくし。
折角の福耳を蒸れくさいタボ毛の底にかくし、まあいゝお恰好ですことゝばかり、互いに白目で賞めそやしては独り悦に入ったのもはや十年の昔。


ということで
いずれも左2年、右12年という事になっております

こうして並べてみますと、なんとなく流行の違いがわかる気がしますね

2011年と2001年ではどうなのでしょうか
何年も同じ服を着ている私などには、区別がつかないかもしれません
 
posted by nakaco at 09:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 昭和前半期

2011年02月25日

時々キネマ文字

ネタに詰れば装飾文字、ということで、

今回も映画ポスターなど。


何が彼女をそうさせたか

「何が彼女をそうさせたか」昭和5年
当時流行したいわゆる「傾向映画」の代表作。
幻といわれていたフィルムが60年以上経ってロシアで発見されたのが1992年、現在ではDVDでも見れるようです。


キートンの結婚狂 1929

「キートンの結婚狂」昭和4年
元日封切。
でも31日初日。
どっち?
とにかく昭和5年のお正月映画です。
お正月は喜劇で、というのは当時も今も定番のようです。

Spite Marriage

こちらはオリジナル。
色合いが同じ、でも文字は断然日本の方がカッコイイ。


雑誌「蒲田」

雑誌「蒲田」昭和4年10月号
一部三十銭 表紙は田中絹代さんの水着。
蒲団≠ニ読んではいけません。


鞍馬天狗

「鞍馬天狗」昭和3年
嵐寛寿郎改名とプロダクション設立のご挨拶を読んでみましょう。

私事此度恩師マキノ省三氏御了解の下に嵐長三郎を嵐寛寿郎と改名致し独立プロダクションを創立、ファン諸氏の御勧めに従ひまして名篇鞍馬天狗≠その第一回作品に選定 目下全力を挙げて撮影進捗、愈々近く全国一斉に封切 懐かしき皆様にまみゆる筈でございます。上映の暁は何卒御清覧御批評相仰ぎたく、未熟菲才の私にはございますが何卒末永く御後援御指導のほど伏而御願ひ申し上げます。
 嵐長三郎改メ嵐寛寿郎 敬白
 嵐寛寿郎プロダクション代表者 加藤嘉一郎


今日覚えた事 
「伏而」と書いて「ふして」と読む。
「而」って伏してる感じがする。
m(_ _)mに近いものがあるな。

何が彼女をそうさせたか クリティカル・エディション [DVD]
何が彼女をそうさせたか クリティカル・エディション [DVD]
 
posted by nakaco at 10:45| Comment(4) | TrackBack(0) | 昭和前半期

2011年02月18日

絵葉書を資料に

このブログでも何度か使わせてもらうたびに、名前だけは出していた「ポケットブックス」さんをあらためて紹介しておきましょう

ポケットブックス
アンティーク絵葉書専門店 ポケットブックス


ここは絵葉書を売っているお店ですから、買った方がいいのでしょうけど、私は買った事がありません

もっぱらながめるだけ

このサイトの良いところは何と言っても画像が大きく見られる事、だいたい長辺650pxぐらいで見る事が出来ます
そしてカテゴリ分けされていて、検索も出来るので、目的の画像を見つけやすい

つまり
絵を描く資料とかを探すのにピッタリ
という事です

たとえば、久生十蘭作「キャラコさん 第2話 雪の山小屋」の挿し絵を勝手に描きたいと思っても(描いてないけど)、当時の女学生がどんな恰好でスキーをしていたかなんて見当もつかない
そんな時このサイトで「スキー」で検索(さらに人物>美人カテゴリ)にすると
こんな絵葉書が見つかります

スキー美人
新潟 赤倉 美人のスキー練習

おお、スカートもありなのね
ということになります

あるいは当ブログの去年のクリスマスの記事で「銀座の松屋デパートのホールに15mのツリーが飾られた」と書きましたが
当時の松屋のホールってどんなの?と思ったら
「銀座松屋」で検索すると、たくさんある中にこんな絵葉書が

松屋デパート ホール
東京 銀座松屋 中央ホール

これがホールかあ

となるわけです

とてもたくさんの絵葉書があって、眺めてるだけでも楽しい

でも商売だから買ってあげてほしい
でもいつも見本をいっぱい置いといてほしい

というわけで、こんな複雑な心境の私は、このお店とは何の関係もないのですが、ふだん勝手に使っているぶん勝手にPRしておきます

絵葉書買ってね
買い取りもしてます

アンティーク絵葉書専門店 ポケットブックス
 
posted by nakaco at 13:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 昭和前半期