2012年03月21日

昭和6年のラヂオ

さて、これは昭和6年に発売されました松下電器のラジオ第一号、3球1号型受信機(Rー31)だそうです。

3球1号型受信機(Rー31)

当時の東京中央放送局(現NHK)によるラジオセットコンクールで一等に当選したもので「当選号」なんて名前で売り出されたんだとか、なかなかカッコイイですね。

で、以前に「ナショ文字」の記事を作った時にいろいろ検索していて見つけたんですが、パナソニックのサイトに「キッズスクール」というコーナーがありまして、そこでナショナル家電のペーパークラフトの型紙がダウンロードできるんです、懐かしい白黒テレビや炊飯器などといっしょに、この第一号ラジオもありました。

Kids School ペーパークラフト教室
「キッズスクール・ごとうけい先生のペーパークラフト教室」


そして作ってみました「當選号」。

当選号ペーパークラフト前

どうでしょうか、真面目に取り組んだんですが。
「キッズスクール・ペーパークラフト教室」のわりには結構細かい作業でした、大丈夫でしょうかキッズ達。


当選号ペーパークラフト裏

私か不器用なだけなのか?
まずいな、ナカコズクラフトなのに。
カメラしょぼいしっ。


ところで、昭和6年のラジオとは、どんな番組を放送していたのでしょうか。
ちょうどこの年の大晦日のラジオ欄の画像がありましたので載せておきますよ。

1931年12月31日のラジオ
クリックで拡大

七時半からは「忘年演芸会」トリは二村定一の「ジャズ小唄」だって、何を歌ったんでしょうね。
大晦日と言えば「紅白歌合戦」ですが、それは戦後の話、でも除夜の鐘の中継はやってますね、生中継って事でしょうね、全国に生で善光寺の鐘の音を届けたという事ですよね、なかなかやりますね昭和6年。

:追記
二村定一が「忘年演芸会」で歌ったのは、
「巴里見物」「日本橋から」「モンパパ」
の3曲だそうです。
もうりさんからコメントで情報をいただきました(あの毛利眞人!)
詳細はコメント欄をご覧下さい。


じゃ広告で〆。

ナショナルラジオ R-31
「週刊朝日」昭和7年2月21日号より

というような事でした。
 
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2012年03月08日

昭和5年のパレード

東日本大震災から一年が経とうとしております。
大変な災害の復興には、それだけ多くの時間が必要ですね。
当ブログに設置した義援金まとめのバナーも今しばらく置いたままにしておこうと思いますので、よろしくお願いします。

さて、大正12年、やはり未曾有の大災害をもたらした関東大震災がありました。
その七年後の昭和5年、「帝都復興祭」というものが行なわれたそうです。
目的は、天皇陛下に対する復興実情の奉告と、さらには内外からの援助に対する報答だということです。

陛下の御巡幸に合わせた奉祝行列や提灯行列、花電車や音楽自動車なんていうものもあって、これらの催しに当時の東京市民は相当熱狂したようで、絵葉書なんかもたくさん残っています。
(今回の画像はすべてクリックで拡大できます)

宮城前通御の鹵簿と市民の雑踏
宮城前通御の鹵簿と市民の雑踏

昭和通に於ける奉祝花電車の美観
昭和通に於ける奉祝花電車の美観

奉祝 夜の音楽花自動車
奉祝 夜の音楽花自動車

〜絵葉書はお馴染みのポケットブックスさんのサンプルより〜

そして、そんな催しの一つに株式会社正路喜社(しょうじきしゃ)という広告会社主催による「広告行列」というパレードがありました。

広告祭行列 日本橋を通過
広告祭行列 日本橋を通過

これは各企業が独自の仮装車を作り、それを連ねて音楽とともに移動するという、いわば現在における企業フロートパレードの元祖みたいな事でしょうか。

参加団体163団体、仮装車134台、参加人数989名という記録が残っています。

広告祭プログラム
広告祭プログラム

スタートの芝公園から終着点の上野公園まで約7kmほど、午後2時スタートで終わったのが7時半頃だそうです。
到着地点の上野公園には人が集まりすぎて怪我人が出たなんて新聞記事もあったようですよ。

さて、実はここまでは前置き。
当ブログはグラフィック関連ですからね(そうだったんですよ)

この広告行列に合わせて正路喜社が行なったのが、新聞紙上における「紙面広告行列」です。

これが今回の趣旨
祝賀行列 広告祭
都新聞 昭和5年3月24日


ご覧のように新聞の全面を使いまして、各社が共通フォーマットの上に仮装車の広告を作り、行列よろしく並べる、紙面広告パレードというわけです、人気投票なんかもやっています。
これは実際の行列予定日の前日の新聞に掲載された物で、いわゆるイベントと媒体の連動企画ということですね。
やりますね正路喜社。

上の画像は例の東京大学アーカイブスにあったものですが、別の版もありましたので載せておきましょう。
映画の広告などによると、以下は翌6年の4月ごろのものかもしれません。

広告祭s6_01

広告祭s6_02

広告祭s6_03

広告祭s6_04

実際にもこんな感じの仮装車が行進したんでしょうかね、だとしたら随分楽しそうですけども。


復興広告祭についてはこちらの論文を参考にさせて戴きました。


さて、災害からの復興といっても、なにをもって「復興」といえるのかむずかしい所ですが、いずれにせよ、被災した人達が再び心の平安を持てる日が一日も早く来る事を願っております。
 
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2012年02月20日

昭和7年の街撮り-秋の流行批評編-

さて、街撮りシリーズ。
今回はアサヒグラフ昭和7年11月2日
「都会はかく装う」という記事です。

昭和7年の街撮り00

解説しているのは、
K…今和次郎(こん わじろう)
Y…吉田謙吉
N…新居 格(にい いたる)

今、吉田両氏は例の考現学の人達。
新居格は文筆家にして評論家「モボ・モガ」という言葉を作った人だそうです。


昭和7年の街撮り02
N…映画的な感じのする写真である。シャドウランドと云う所がある。勇敢に呼びかけられて逃げを張るような紳士、などゝ書けば流行の批評にはならないが……
Y…腕の短いくくりはこの夏以来の流行の秋への持越しとして認めねばならぬ明朗調。
K…婦人の服装スラリとしたパリ風の好み。たゞ靴だけは少し破調。


昭和7年の街撮り01色付き罫線の画像は拡大できます
N…秋の和服流行オンパレード美女オンパレードの感じ、秋の日ながらまぼしい位だ。批評はKY両君に譲る。
K…大体この秋のはしりの着尺物と帯の一覧図としての価値があります。特徴は日本の伝統を取り入れている事です。
Y…帯の粗い斜線や横縦縞などに於ても。序(ついで)に着物は大体に於て縞物並にそのヴァリエーション優勢で大柄なお煎餅型の散らし模様は落選のようです。全体の統一が第一主義になって来た徴候からでしょう。


昭和7年の街撮り03
Y…男のズボン吊り式に肩から吊られたスカートは工場服からの連想的流行、但し此場合スカートの縞のハギ合せ方が問題となろう。腰のベルトはあらずもがな、か。
N…Y君の云う通りベルトは不用だと思う、縞のつぎ合せも気になる。考えものだ。
K…うっかり云えない、此場合主人公の好みがひゞいているのかも知れない。


昭和7年の街撮り05
N…舗道の秋にふさわしい、服装と姿勢、すっきりとした感じ秋の空気のような……
Y…日本人の好みとしてのこの生地の選択はスラスラと流行的普遍性となろう。
K…モダン建築の外壁との調和からも街の散歩服としては可。二人を較べるとウイストラインのしまりが一寸ちがうがどっちの方がより新鮮か……


昭和7年の街撮り06
K…和装と洋装の伴れの場合、ステップの踏み方が本質に同じでしょうか、不調和を感じない、若し一人が西洋人であったとしたらこうは行くまいが。
N…二人はもっと窮屈らしくなく歩いてもよさそうだ。ハンドバッグの紐を腕にかけて小脇にしっかり抱いているのも要心がよすぎてのびやかではない、時世が時世とは云え……
Y…ブラウスの襟の喰い違い方にダラリとかけたネクタイの気取り。


昭和7年の街撮り04
N…清麗なマダム平井は派手な柄だが、しかしくすんだ秋に調和した服装でお嬢さんと……秋の日射が稍(やや)強いので光線に手を翳して。
K…紫地のジグザグの柄の着物に、雲織の雲模様の帯のさっぱりした外出姿です。
Y…序に失礼ながら、お嬢ちゃんのツバ広帽子、一つボタンの縁取りブルーズ、長いストッキング○○でしょう。
○○は字が消えていて読めませんでした。
よく見るとお嬢ちゃんの靴下はニーソになっております。


昭和7年の街撮り07
K…和装婦人の歩き方の二つのタイプが右と左の比較で面白く見られる。左は在来の日本風、右はモダン風。この秋の流行の柄に矢がすり級のが多い。
Y…着物ばかりでなく履物も亦、右モダン風左稍(やや)古風。そう云えば携帯品の持ち方亦然りで、右は凡て下に抱える式左は上にさし上げる式だ。
N…全く右は颯爽、中には颯爽過ぎるのがある(右端の如き)何よりも足にお目をとめられよ。


昭和7年の街撮り08
N…これは今年の流行だが、この細袖の流行原因はどこから来たのか、一寸野球のユニホームを思わせる。スポーツ服の生活化か?
Y…色調的にはブラックエンドホワイトの強調。細袖とスカートの裾のギャダーとの調和はどういうものかしら。
K…そう云えばバッグの持ち方もスポーツマン風。思い切って腰線を現わした短袴の一好例。


昭和7年の街撮り09
K…流行少女服のお揃い。髪の手入まで後に房々している流行型ですが、この点では少女万歳です。
Y…中央が稍(やや)まともなスーツ左右両端が同じ帽子、同じケープ付但し靴下の色、地質に年齢的な相違のあらわれが見られるでしょう。
N…このオン・パレードは好ましい。分けても、左の方の面が、別に異議申立なし。


昭和7年の街撮り10
K…インテリ婦人の標本?左の婦人の帽子がぞんざいなのに靴が派手過ぎる。
Y…二人の襟型のY型と角型、それ自身、長と短のシンボライズの如き観を呈してる。
N…洋服の着こなしが巧みだ(右)。もっと気をつけてもよさそう(左は)。


例によって記事文は旧字と仮名遣いを変えただけなので、何だかよく判らない所もあるかもしれませんが、そこは読み取ってね。

さて、この解説文におけるK氏こと今和次郎氏ですが、以前当ブログで紹介しました「考現学」を吉田謙吉氏とともに始めた人、この記事の頃はすでに早稲田大学建築科教授が本業です。
民俗学や服飾、意匠研究にも活躍した人だそうですから、こういう記事にも登場するわけですね。

ところで、そんな今和次郎関連の展示会が現在行なわれているそうですよ。

今 和次郎 採集講義 展 - 時代のスケッチ。人のコレクション。

今和次郎展

パナソニック 汐留ミュージアム
2012年1月14日(土)〜3月25日(日)

このパンフレットの細かいスケッチを見ただけでも何か面白そうでしょ。
東京汐留、遠いですね。
お近くの人はいかがでしょう。

関連記事:
資料本7(吉田謙吉「考現学の誕生」)
 
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2012年02月13日

ナショ文字フォント

ナショナル電球 1940

「電力を無駄なく光りに…」なんて、最近の節電キャンペーンみたいですが、これは昭和15年頃のポスターです。

この「ナショナル」というおなじみのロゴタイプは、私たちにとっては戦後の高度経済成長期のイメージがあるのですが、実は昭和12年(1937)頃から使われているのだそうです。

松下電器オリジナルで、通称「ナショ文字」と呼ばれています。
上のポスターにある「電球」という文字や、

ナショナルラジオ
「受信機(ラヂオ)」昭和13年

ナショナル乾電池
「乾電池」昭和12年

などの商品の漢字の部分まで「ナショ文字」で統一されています。

この字体には当時の作者の「電化」というものに込める思いが感じられますね。
直線的でスパークするイメージ。
電力、科学、新時代、みたいな感じでしょうか。

これはその後生まれた数々の製品にも受け継がれてゆきます。


ナショナル洗濯機
ホーロー看板

ナショナル炊飯器
炊飯器の裏

ナショナルカラーテレビ
ベンチ

ナショナルホームポンプ
看板全部「ナショ文字」

ナショナルキッド
もちろんキッドも「ナショ文字」


昭和62年(1987)国内での「Panasonic」ブランド名統一化とともにその使命を終える「ナショ文字」は、実に半世紀に渡って松下の顏として電化時代のイメージを放ち続けたわけです。


さて、そんな「ナショ文字」ですが、現在でも根強い人気がありまして、個人でフォントを作成されている方もおります。
5r4ce2[Fiber Force2] pumpCurry's Website
フォントカタログページで公開されている、「GDノスタルマシーンズ」というフォントです。

現在はほぼカタカナのみ、制作は進行中だそうです。

こんなかんじ。

ナショ文字フォント

というわけで、久しぶりに文字の話でした。
 
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2012年02月07日

運だめし双六をカラーに

昨年のお正月に紹介しました「少女運だめし双六」のカラー画像があったので入れ替えておきました。
きれいなカラー版でもう一度見てみてね。

少女運だめし双六 カラー
2011年1月6日の記事 「お正月は双六」


 
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2012年02月01日

昭和8年のゲームセンター

さて、久しぶりに戦前のアサヒグラフの記事です。
昭和8年3月22日号「春のどか尖端ゲーム」という記事から、当時のゲームセンターみたいなのや、家庭での新しいゲームの流行など。


自動車競争
自動車競争
 ヨイショと乗っかって(乗れない坊や嬢ちゃんは乗っけて貰って)うしろを一寸押して貰うと箱の中のモーターがまわってガアガア動き出します。
そこで赤勝て白勝ての無邪気なレースが開始するという寸法ーーまことにのどかな風景です。

スカリング
スカリング
 欲には彼と彼女あたりで楽しんで頂き度いですね。このスカリングという奴は…
 仲良く腰を下してオールを握って一、二、三ッと漕ぎ始めると目の前の塔の横腹に控えた玩具のボートが追いつ追われつ上へ上へと昇って決勝点に届くんですが、適当に汗をかいた彼女が「やっぱりあんたの方強いわね」てな事を仰有って、そいつを受けて彼氏「フフフ、それ程でもないよ」なんかんとニヤつけば、実に春や春!

輪かけ
輪かけ
「パパ、うまいなあ。今度はボクにやらせてよォ」所がオヤジは
「ウン待てまて。もう一つやってからね」と仲々に興尽きず
 側からママが
「まあパパったら一人で何でショ。さあ坊やおやんなさいよ」
 で、坊やクン勇ましく台にのったのはいいが何しろ相手が象の鼻をシンにしてぐるぐる廻っているからどうにも困る。
とうとう坊や鼻の先へ引っかけちゃった。
 うしろでパパとママとが「アハハハ、オホホホ」と笑いこけたーーという、これこそ家庭円満疑いなしの輪かけゲーム。

プリント遊び
プリント遊び
 四尺向うの壁に貼られた顔の輪郭、目も鼻も口もないノッペラボウな所へ、目、鼻、口のスタンプをやっと突き出してまとまった顏を拵えればいいというワケはワケなんですが、相手がユラユラ右左へ揺れてるから始末がわるい。
 鼻が曲がって口が歪んで目がチンバなんてのが非常にしばしば出来上るって所にミソがあるんです。

腕相撲
腕相撲
 ヤッと突き出た腕一本。
 アメリカ・インディアンがロボットの腕を出したわけです。
 こいつを相手に腕相撲をやるのですが、イヤ強いの何のってーー。
 ホンの僅かでも押し倒せば目の前のメートルが動いて「やあ君、強いなあ。15まで行ったぜ」てな事になる、まづ小学校の五六年生位の少年諸君には持って来いの遊びです。

コリント・テーブル
コリント・テーブル
 ヨーヨーにちょいと遅れて流行し出し早くもあちこちの家庭に侵入して了った新式ゲームの「コリント・テーブル」
 底を割っちまえば少々手の込んだ「玉転がし」に過ぎないのですが、無数にはえた釘にヨロけながら転んだ揚句にポカリと150点なんてクボミに落付く所に得も言えぬ昂奮が潜んどるらしいのです。
 老いも若きも幼きも、男も女もおしなべて楽しめるゲームとして大方の人気を博す、また故ありと称すべしでしょう。

ピリット・ゴルフ
ピリット・ゴルフ
 何の事はない、一種のデッキ・ゴルフと思って頂けばよろしい。
 紅白に分かれてお祖父さんでも嬢ちゃんでもお互の玉を邪魔しながら自分の玉を穴へ落し込んでワァーイ勝ったかったとはしゃぐというこれも又絶好の家庭ゲーム。


という訳なんですけど。
このゲームセンターのような所は、松屋スポーツランドという所らしいです。
昭和6年に松屋デパート浅草店の7階に作られまして、元祖屋上遊園地にして元祖○○ランドという事になります。
ディズニー氏が作ったランドなどは戦後の話ですから、こちらが断然先達ですね。

ゲームや遊具の内容は説明文を読めば大体わかりますでしょうか。
ちなみに当ブログでは、当時の記事を紹介する際は仮名遣いと旧漢字を改めるだけで、漢字自体や送りがな、表現なども原文のままを原則としています。
現代において不適当なものもありますが、ご理解下さいね。


最近のデパートに屋上遊園地はあるのでしょうか、私が子供の頃はずいぶん賑やかでしたが。
最初の写真にあるような自動車も何だか見た事があるような気がしますし、腕相撲ゲームなどは、こんな感じのが今も近所のゲームセンターにありますよ、お相撲さんのやつ。

このような写真を見るといつも思いますが、やはり戦前はそんなに昔ではない、ということかもしれません。


スポーツランド

当時の宣伝カード
あのネズミさんもいるっ!
 
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2012年01月13日

昭和5年の大魔奇術

さて、本日はこの何だかとても怪しげな写真から。

高圧電流大マグネット
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何が行なわれているのでしょうか。
これは昭和5年、松旭斎天華一座によります奇術公演より「高圧電流大マグネット」という出し物の写真だそうで、大阪「楽天地」での興行だそうです。

分冊百科「週刊20世紀」という本に、当時のエロ・グロ・ナンセンスな世相の例として掲載されていたものなのですが。

松旭斎天華とは、その名の通り、明治から昭和戦前期にわたって一世を風靡しました松旭斎天一・天勝の流れを汲む奇術師で、女流の名跡ということですから、この写真でいえば一番高い所で腕を組んでいるおかっぱ少女風の人、股間になんか貫通してますけど、
この人が状況的には一座のトップ、天華先生のように見えるのですがどうでしょうか。

この写真の前年、昭和四年の記録

松旭斎天華一座 1929-1
クリックで拡大

夷谷座(えびす座)とは京都にあった劇場です。
演目は「三十万ボルト特別最高圧高周波電流人体通電科学実験」となっています。
これが「電流大マグネット」の事でしょうか。

松旭斎天華一座 1929-2

新聞評として「天華一行の”三十万ボルト特別最高圧高周波電流人体通電科学実験”は学会の問題となり素破らしい好評を博している」
とありますよ。


天華一座の古い記録は大正七年

松旭斎天華一座 1918-1

この明治座は京都の新京極にあったもので、後の京都松竹座です。
元日からのお正月公演ですね。
小天勝改メ、松旭斎天華一行となっています。

同年7月のプログラム

松旭斎天華一座 1918-2

しっかりとしたバラエティーショーですね、一行五十余名の所帯。

実はこの記事にも出てくるトーダンスの名手足立鶴子という人が後に二代目天華を襲名する事になるのだそうです。


大正10年のレコード

洋行帰り

大正10年といえば、レコードとしてはかなり初期、電気吹き込み以前です。
「洋行帰り」というこの歌を歌った松旭斎天華はすでに二代目の足立鶴子さんだそうです。


天華嬢の絵葉書

絵葉書 松旭斎天華嬢

この絵葉書の年代が判らないのですが、これが鶴子さんでしょうか。
なんだか最初の写真の女性とも似ているような気がしないでもなく。


というわけで
今回もまた何の解決も見えなかったわけですが、
まあいつもの事ですけど。

結局何が言いたかったのかと言うと、この「電流大マグネット」か「三十万ボルト高周波通電実験」か、どちらにしてもこの奇術がどういうものであったのか知りたいものだ、という事。
そして、天華一座はけしてエログロだけの見せ物ではなかったであろう、ということですね。

追記:
詳しい補足をコメントでいただきました。
ぜひ御覧下さい。コメント欄


最後に「楽天地」とは。

大阪ミナミの千日前、現在のビックカメラの場所に大正三年から昭和五年まで存在した娯楽の殿堂です。
大劇場と2つの小劇場で映画やお芝居、演芸や少女歌劇、地下にはメリーゴーランドやローラースケートに水族館、屋上には展望ドーム、夜はイルミネーション昼は万国旗と、まさに大レジャーセンターということです。

絵葉書 千日前楽天地

絵葉書に添えられた大阪弁の説明文を書き写しておきましょう。
「千日前楽天地 
大けな建物が楽天地だんね 中へはいるといろんな見る物が仰山(ぎょうさん)おまして一日遊べまっせ
千日の通りは活動写真が何軒もおますさかい年中こないにゾロゾロ見物人でにんやかなこったっせ
 
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2012年01月07日

萬龍特集

さて、辰年だから、という訳でもないんですけど、
時代も昭和前半からさかのぼって明治大正期の事ですけど。
資料をいろいろと眺めていて集まった萬龍さんの、あるいは萬龍風のポスターをいくつか見てみます。

まず、萬龍さんという人物は。

日本百美人

これは明治41年、雑誌「文芸倶楽部」主宰による芸妓人気投票「日本百美人」の記事より、
中央に大きく写っているのが人気第1位になりました、東京赤坂の「萬龍」という芸者さんです。
芸者といっても、このとき14歳だそうな。

当時の芸妓の人気というものは大変なもので、現在我々が持っているイメージとは相当にに違うもののようです。
そんな萬龍さんの人物史については、今回は語らず、
人気者として起用された広告、ポスターを見てみましょう。


カブトビール 萬龍
カブトビール 明治41年頃

カブトビールは愛知県にあったビール会社だそうです。
この時代のビールのポスターといえば和服美人、という流れを作った一枚ですね。


三越呉服店 萬龍
三越呉服店 明治43年頃

このベールみたいなのは何でしょう、先ほどの日本百美人の中にもいましたが、流行ってたんでしょうか。

我が国に写真製版の技術がもたらされるのは大正八年、それまでは石版印刷が用いられ、これは職人が原画を原版に手で書き写していたそうで、そこに高い技術が求められたのだと言います。
この作品はさすがに三越、見事に美しいですね。


萬龍三越02

これも三越
明治43年秋の新柄陳列会のポスターで
「東洋の美女が世界に捧ぐる三越呉服店」と題されています。
手にしているのは日本橋本店新館の模型で、落成するのは四年後の大正三年です。
三越は自ら打ち出したデパートメントストア戦略のイメージを、この16歳の芸妓に託した、ということですね。


この他にも萬龍さんのポスターはいくつかあるようですが、萬龍さんを公式に起用した物の他にも、人気にあやかった「萬龍風」とでも言うような物もたくさんあったようですよ。

今の私にはどれがどうなのかよく判りませんけど。

蜂印香竄葡萄酒
蜂印香竄葡萄酒

キッコーマン醤油
キッコーマン醤油

福助足袋
福助足袋

大阪商船
大阪商船

日清汽船
日清汽船

なんかみんなそれっぽいといえばそれっぽい。


萬龍さんを語る時にいつも出てくるのが「間がいゝ節」という流行り歌です。

♪酒は正宗、芸者は萬龍、唄は流行(はやり)のマガイーソング。ナンテマガイインデショー。♪

どんな唄だったんでしょうか。
戦後録音された南地みつ春さんの歌で、この部分だけ聞かせてもらいましょう(ナイショで)



流行語、というものは昔からあるもので「ナンテ間がいいんでしょ」という言葉は本当にとても流行ったのだそうです。

そんな流行歌の中に出てくる萬龍さんも、これは相当な流行人であった、という事ですね。

萬龍
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2011年11月14日

手紙文例集より 其の五

「婦人倶楽部」昭和十年二月号付録「婦人手紙文全集」より
昭和のお手紙風画像を作る、ということなんですけど。

今回は、「ピクニックに友を誘う〜女学生より〜」という佐伯孝夫氏の文例です。

手紙文例05−1

手紙文例05−2

という事なんですけども。

佐伯孝夫氏は御存じの作詞家。
「さくら音頭」のヒットを皮切りに、戦前戦中は「燦めく星座」や「新雪」、戦後は「東京の屋根の下」「銀座カンカン娘」など戦後を代表する曲、その後も「有楽町で逢いましょう」などのフランク永井のヒット曲や橋幸夫と吉永小百合がデュエットしてレコード大賞を獲った「いつでも夢を」など、まさに大流行作詞家となるのですが、この時点ではまだ「さくら音頭」をヒットさせたばかりの国民新聞の記者時代。
次のように紹介されています。

佐伯孝夫 昭和10年

新進詩人として嘱目せらるる方、最近流行歌の作詞を試み、『さくら音頭』をものするに及んで一躍流行歌作詞家中の花形と目されて居ります。
現在、国民新聞社学芸部記者、外に、映画、レビューにもストーリー作者として活躍されております。

さてこの、ピクニック。
文面の中に「ピクニックが古ければハイキングでも結構よ」なんてくだりがありますが、ピクニックとハイキングに流行の順番があったとは知りませんでしたね。
それはともかく、大正時代の半ばから昭和戦前期に、このハイキングやピクニック、さらにキャンプ、冬はスキーと、いわば小登山ブームとも言えるモノがあったようです。

大正時代のハイキング
写真には「大正11年頃のハイキング風景」とあります。
天秤棒に振り分け荷物でハイキング!なんかおじさんですし。


昭和初期のピクニック
昭和初期のピクニック、こちらは遠足風です。


那須ハイキングコース
那須温泉付近ハイキングコース


この時期流行歌でもたくさんの小登山テーマの曲が作られました。
佐伯孝夫もこの文例集が出た年に「ハイキング・ソング(藤山一郎、渡辺はま子)昭和10年」なんて曲を作っています、聴いた事ないんですが、「空は青いし陽は照るし」なんて歌詞が入っているんでしょうか。


登山用品広告 大丸
昭和5年 大阪朝日新聞広告

登山用品広告 三越
昭和13年 報知新聞広告

この文例集シリーズの第一回は海水浴に誘う女学生の手紙でしたが、夏は海水浴、春や秋はハイキングやピクニック、冬はスキーと、すでにこの頃我が国の生活の中には、娯楽としてのアウトドア・レジャーがしっかりと根付いていた、と言えるのかもしれません。
 
タグ:手紙文例集
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2011年10月30日

TINTINと正ちゃん

スティーヴン・スピルバーグ監督が新しい映画を完成させたそうです。

「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」

「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」という作品で、エルジェ作「タンタンの冒険旅行(Les Aventures de Tintin)」というベルギーの漫画が原作です。

予告編を見ると、実写みたいなアニメみたいなCGな3Dな、まあアニメなんですけど、最先端映像という事でしょう。

Les Aventures de Tintin

主人公タンタンは、愛犬スノーウィとともに冒険の旅をする少年記者。
今では80ヶ国以上で翻訳されている世界中の人気者ですね。


しかし、我が国には、タンタンより以前に、やはり大人気者の少年冒険家がいた事を忘れてはいけません。

それが「正ちゃん」です。

「正ちゃんの冒険」

「正ちゃんの冒険」が発表されたのは、1923年(大正12)1月 アサヒグラフ誌上でした。
「タンタンの冒険旅行」は1929年(昭和4)1月、ベルギーの20世紀新聞付録、20世紀こども新聞紙上ですから、正ちゃんの方が丸6年も先輩という事になります。

「正ちゃんの冒険」火事 クリックで拡大
家が焼けても落ちついてる正ちゃん

作・織田小星、画・東風人
こちらでも少し読めます。
ソク読み「小学館クリエイティブ単行本 完全復刻版 正チャンの冒険」

基本四コマ、日本で初めて吹き出しを使った漫画だそうです。

いっしょに旅をするのは愛犬ではなく「リス」
その名も「リス」って。

「オイリスコレカラオホサカヘユクノダヨ」
とか、なんか偉そうなわりには、切符や弁当を二人分買ってくれる正ちゃんなんですけど。
作者の織田小星という人は相馬中村藩最後の殿様相馬誠胤の長男で子爵といいますから、正ちゃんの鷹揚とした感じはそのあたりから来ているのかもしれません。

絵を描いた東風人は樺島勝一(かばしまかついち)の別名。
樺島先生は本来リアリズムの人で、船舶や航空機などのメカニカルな素材を細密に描写した挿絵は、少年倶楽部などで大変評判を得ました。

樺島勝一展 2008
2008年の展覧会

「敵中横断三百里」
「敵中横断三百里」山中峯太郎作 昭和5年

JOAK
東京放送局開局ポスター 大正14年
これも樺島氏の作品、写真じゃないよペン画だよ。


映画『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』の公開は12月1日から。
その頃には原作「タンタンの冒険旅行」の話題がいろんな所に上ることでしょう。
そんな時には、冒険少年の先駆者、正ちゃん帽でおなじみの「正ちゃん」の事も思い出してくださいね。

正ちゃん

リスの名は「リス」
ボクノコトモネ



正チャンの冒険
正チャンの冒険

樺島勝一―昭和のスーパー・リアリズム画集 (小学館クリエイティブビジュアルブック)
樺島勝一―昭和のスーパー・リアリズム画集 (小学館クリエイティブビジュアルブック)

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2011年10月25日

戦前新聞広告アーカイヴス

大正時代の新聞紙面から、迫力のあるキネマ文字集。

新聞広告キネマ文字1
大正15年10月15日 報知新聞

新聞広告キネマ文字2
大正15年11月5日 東京朝日新聞

新聞広告キネマ文字3
大正14年6月19日 時事新報


映画のタイトルに限らず、昔の新聞広告は見ていてなかなか面白いものです。

当ブログでも何度か参考資料として載せましたり

麦稈帽子 広告2


いんちき新聞広告のベースに使ったりしたのは

ブログ広告(嘘)


こちらのアーカイヴスから拝借したものです。
東京大学総合研究博物館画像アーカイヴス
日本の新聞広告3000(明治24年−昭和20年)

その名の通り東京大学が収集した画像資料が公開されているわけですね。

東京大学アーカイヴス

ホントに3000点ある。
でも大丈夫、いろんな条件検索から広告を探せるので便利ですよ。
posted by nakaco at 11:20| Comment(5) | TrackBack(0) | 昭和前半期

2011年10月17日

昭和8年の冬物

このところ「アッパッパ」検索からの来訪が多い。
それも朝とお昼に集中している。
何の事かと思ったら、
「カーネーション」でしたか。

「カーネーション」
NHK 連続テレビ小説「カーネーション」

見てなかった私が言うのもなんですが、
みなさん「カーネーション」見てね。

いやべつに関係者ではないんですが、宣伝しときますよ。


このドラマの主人公は、コシノ姉妹の母小篠綾子さんがモデルだそうです。

綾子さんがデザイナーとして洋装店を開業したのが昭和9年。

ちょうどその頃、昭和8年冬のスナップです。

昭和8年の冬物01

昭和8年の冬物02

昭和8年の冬物03

この年はロングスカートが流行、冬になってもロングコート。
裾の長いのが流行っていたようですね。

写真は「アサヒグラフ」から
 
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2011年09月23日

昭和8年のサイダー

ネタが無くなればポスター、という事で
今回は昭和8年の三ツ矢サイダーです

三ツ矢サイダー 市川春代
クリックで拡大

写っているのは市川春代さん、日活の女優さんです
ちょうど二十歳

以前このブログに貼りました「明治チョコレート」の新聞広告

明治チョコレート広告

これも昭和8年の市川さん、日活映画「未来花」とのタイアップ
なかなかのCMガールですね

歌も唄っています
昭和9年、主演作「花嫁日記」の主題歌「あなたのあたし」
松平晃、杉狂児とのデュエットですが、ちょっと特徴ある歌唱力です



戦後も映画、そしてテレビ時代まで仕事をされていたようで、「ウルトラセブン」のフルハシ隊員のお母さんを演じています、あのお母さんが北海道から上京してくる回のヤツですよ、感動作

サイレント時代からウルトラセブンまで、息の長い女優さんです

商品は、サイダー、平野水、シトロン
平野水って何?と思ったら、兵庫県川西市平野という所に湧く天然の炭酸水だそうで、これが三ツ矢サイダーの元になったのだとか

平野水が炭酸水で、それの甘いのがサイダーで、甘酸っぱいのがシトロンでしょうか


ライバルは「キリンレモン」

キリンレモン 1928

発売は昭和3年という事で
こちらも歴史のある商品ですね
やっぱり、タンサン、サイダー、シトロンがあります

このポスターは昭和11年、多田北烏作
多田北烏(ただ ほくう)は、キリンビールを始め多くのポスターを手掛けた人で、あ、昭和初期っぽいポスターだ、と思ったらそれは北烏作かもしれません
このキリンレモンはどちらかと言うと北烏っぽくないですけど


というわけで本日はこんなところ
 
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2011年09月15日

公開迫る

映画「ムーランルージュの青春」の事ですけど

昨年の5月に明日待子さんの画像を掲載しましたところ、明日さんの検索から訪れてくれる人が多いのですが、このところまた増えて来たと思ったら、公開迫る、という事のようです

これも何かのご縁という事で、勝手に宣伝しておきましょう

「ムーランルージュの青春」

2011年9月17日(土)より 新宿K's cinema にてロードショー
以降全国の公開予定は公式サイトにて
「ムーランルージュ新宿座」生誕80周年記念映画「ムーランルージュの青春」

予告編




ムーラン関連の資料を探してみました

MOULIN ROUGE

これは当時の外観、定員430人だったそうです

プログラムNo.9

第9回公演プログラム
1 二人の不幸者
2 有閑夫人行状記
3 バラマ記百万円
4 輪舞曲「当世女」
5 ヴァラエティ 花ひらく

プログラムNo.38

第38回公演

プログラムNo.236

第236回
1 片隅の画策
2よらば大樹の蔭
3 胡瓜夫人伝
4 ヴァラエティ ♯(シャープ)・♭(フラット)

なんて書いてあります

ムーランルージュ初期の舞台

初期の舞台だという事です

「舞台裏」田中良

田中良作「舞台裏」という作品です
ムーランルージュの舞台裏を描いたものだそうですよ
田中良という人は帝国劇場や宝塚で舞台背景も手掛けた人で、絵本なども描いています

本家ムーランルージュを描いたのはロートレックですが、これは日本版という事でしょうか

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2011年09月07日

昭和2年の似顔絵

双六は時期外れですが、似顔絵が面白いという事でご紹介しますよ

映画俳優人気競走双六
クリックで拡大

これは昭和2年「キネマ」という映画雑誌の付録です
「映画俳優人気競争双六」という事なんですけど、なぜか松竹の城戸四郎や日活の池永浩久なんて人も入ってます

独特のタッチ
イイ感じで崩されている
俳優はともかく女優さんは怒ってこないか心配になりますけど

写真と並べてみました

栗島すみ子

栗島すみ子


八雲恵美子

八雲恵美子


梅村蓉子

梅村蓉子


柳さく子

柳さく子


森静子

森静子


昭和2年にこんな似顔絵を描いている人がいるのが嬉しかったので、この市村みのるという人を調べてみましたが、よく判りませんでした

あと右下の振り出しの所にいる人は誰なんでしょう

振り出し

下に何か書いてありますが読めません

読みにくい人名を書いておきます
坂妻の右上は森野五郎、下の侍は河部五郎
梅村蓉子の下の帽子はマキノ正博監督です
 
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2011年08月24日

昭和11年の扇風機

今年の夏は、節電&猛暑、ということで
扇風機がよく売れたのだそうです
去年あたりまでは「退役家電」なんて言われていたんですが

本日は昭和11年の芝浦製作所のポスターを

芝浦電機扇

モデルは原節子16歳

この時原さんは冬物の赤い洋服を着ていたそうで、もっと涼しい感じにしたいと、撮影後紺地の水玉模様にエアブラシで修正したのだとか

洋服を修正したというより、このポスター全体が絵みたいですけども

おそらくこのポスター撮影時

芝浦電機扇02


この修正作業をしたのは熊田五郎という人で、山名文夫門下、戦前はレイアウトやグラフィックデザインの仕事で、名取洋之助や土門拳と組んで雑誌「NIPPON」を作った一人です
さらにこの修正彩色作業のような、細密な技術にも長けていて、戦後は熊田千佳慕(ちかぼ)という名で、細密画家、絵本画家としても活躍されます
花や昆虫を得意として、日本のプチファーブルなんて呼ばれていましたよ

2009年98歳で亡くなる直前まで、絵筆を取っておられたそうです

熊田千佳慕

写真は2008年 97歳の熊田千佳慕先生

ファーブル昆虫記の虫たち〈1〉 (KumadaChikabo’s World)
ファーブル昆虫記の虫たち〈1〉 (KumadaChikabo’s World)


関連記事:
続・昭和11年の扇風機
 

posted by nakaco at 10:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 昭和前半期

2011年08月05日

昭和9年の超特急

さて、夏といえば休暇、を利用した旅行、ということで、
どこかにお出かけになるのでしょうか。

世の中には鉄道好きという人が結構いらっしゃるそうで、
列車に乗ったり眺めたり、写真を撮ったり、
なかには路線図や時刻表を見ているだけでも楽しいのだ、という人もいるようです。

私はそういう趣味はほとんど無いんですけどね。


昭和9年から18年まで、南満州鉄道を走っていた特急「あじあ」という列車がありました。

特急「あじあ」01

大連ーハルピン間943kmを、所要12時間30分で運行されていたのだそうです。
流線型がカッコイイですね。

私は鉄道好きとは言えませんが、図面好きではあります。
特急「あじあ」の三面図があったので貼っておきましょう。

特急「あじあ」三面図
クリックで拡大

ああ、よく引けている。


昭和15年の時刻表

満鉄 時刻表
クリックで拡大

これによりますと、
東京から下関まで22時間ほどかけて行っていただいて、そこから連絡船で釜山へ7時間半、
釜山から奉天へも23時間ほどかかりますね。
奉天を起点として、北のハルピン、南の大連、西の北京へと別れます。

特急「あじあ」02
快速車あじあ號

大連ーハルピン間は「あじあ」の路線ですから、途中にある奉天からそれぞれ、大連まで5時間弱、ハルピンまで7時間20分です、北京へは長距離急行「大陸号」で14時間40分です。

特急「あじあ」03
あじあに乗ってアデイュ

いったんハルピンまで上っていただいて、ハルピンー大連間を一気に「あじあ」で南下940kmというのはいかがでしょう、トンネルがひとつも無いらしいですよ。

特急「あじあ」04
流線型超特急「あじあ」

大連からは神戸まで船が出ていますから、帰りは海もいいですね。

夏休みを何日取ればいいのでしょうか。

特急「あじあ」05
徐々にスピードを増すあじあ

ではいってらっしゃい。

南満州鉄道 伊藤順三



パシナ形蒸気機関車 「あじあ号」(満鉄)
 
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2011年07月26日

ラヂオ体操

夏休みといえば
ラジオ体操、ですか?

どうなんでしょう今は

私自身は、ラジオ体操に一所懸命通った、という記憶がほとんど無いんですけどね

不真面目だったんですかね、子供の頃から


さて、我が国ラジオ体操の起こりは昭和3年、当時の逓信省簡易保険局(現在のかんぽ生命)が、アメリカの生命保険会社が広告放送として行なっていたラジオ体操にならって始められたそうです
正式には国民保険体操という名で、当初は郵便局員によって体操の振りが全国に広められたのだそうですよ

ラジオ体操01
昭和5年 画像はクリックで拡大


第一回の放送から十一年間、無欠勤で号令をかけ続けたのは江木理一氏

ラジオ体操02
右端:江木理一氏、ピアノ演奏:丹生健夫氏

江木アナウンサーと呼ばれる事が多いようですが、元は陸軍戸山学校軍楽部三等楽長、陸軍戸山学校軍学部は後の陸軍軍楽隊で、そこで演奏指導などをしていた少尉相当の軍人さんだった人だそうです
彼はラジオ体操のためにNHKに入局するわけですが、それには堀内敬三が関わっていました

「青空」や「アラビアの唄」の訳詞等で知られ、日本流行歌史に欠かせない名前の堀内敬三ですが、当時彼はNHKに洋楽主任として在籍していました
そして「ラジオ体操の指導者は音楽を知るものが良い」と考え、陸軍戸山学校校長の香椎浩平中将に人材推薦を依頼します
そして校長命令によって推薦されたのが江木理一三等楽長であった、という事のようです

さぞや本人も驚いた事でしょう

しかしこの人選は大当たりで、江木氏の号令は日本の隅々まで響き渡り、昭和14年に退局した後もラジオ体操指導者として全国を巡ります

昭和8年の漫画

ラジオ体操03
ラジオの声は江木氏風


これは凄い人数

ラジオ体操04
昭和17年 大阪御堂筋

昭和17年といえばいよいよ時局
健康増進だけではなく、いろんな意味が込められていたのかも知れません

戦況が厳しくなってからもラジオ体操が休む事は無く、戦前戦中としては昭和20年8月14日まで放送され続けました


では初代のラジオ体操第一を聴いてみましょう
福井直秋が作曲したもの
ピアノ伴奏は丹生健夫、号令は江木理一アナウンサーです



動きは現在のものよりも簡単なようですから、試してみては?

ラジオ体操第一01
ラジオ体操第一02

 
posted by nakaco at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和前半期

2011年07月19日

その頃アメリカでは

今年のカンカン帽の記事の時に写真を使わせてもらったサイト
「Shorpy Historic Photo Archive」をちゃんと紹介しておきましょう
http://www.shorpy.com/

これは米国のサイトで、およそ1900年代前半頃のアメリカ合衆国で撮影された写真を見ることが出来ます

モノクロですが高画質な画像が大量にあって、プリントして販売とかもしてるらしいのですが、英語なんであまりよくわかりません
でも写真を見ているだけでも充分面白いです

The Motor City 1917
http://www.shorpy.com/node/10755

たとえばこの写真は1917年頃のデトロイトだそうです
フルサイズで見ると、幅3800pxもあって、建物や広告のかなり細部まで確認できます
この写真一枚でしばらく時間がつぶせますよ

このサイトにある写真は、風景も建物も人物も、何だか不思議にリアルで(まあ写真だから不思議ではないけど)実際にその場所に入ってしまったような気分になりました

昔のアメリカがお好きな人は覗いてみてはいかがでしょう
 
posted by nakaco at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和前半期

2011年07月13日

昭和9年の恐竜

ネッシー01

はいこれ、おなじみのネッシーなんですけども

ええェ?いまどきネッシーですか、昭和前半期カテゴリで?

そうなんですよ
この最も有名なネッシーの写真、いわゆる「外科医の写真」と呼ばれているモノですが、これが撮影されたのは1934年、日本で言えば昭和9年ということになります
ずいぶん古い写真だったんですね

名探偵シャーロック・ホームズでおなじみのアーサー・コナン・ドイルが、太古の恐竜が南米で生き残っていたという物語「失われた世界」を発表したのが1912年、それの初めての映画化が1925年、「キングコング」の公開が1933年、ネッシー最初の写真1933年、我が国の秘境探検もの久生十蘭の「地底獣国」1939年、小栗虫太郎「人外魔境シリーズ」1939年〜
というように、1920〜30年代は秘境と古代生物生き残りブームだったのでしょうかね

ロストワールド01
「The Lost World」1925

ロストワールド02

同年日本でも公開されて評判だったそうです
映画ではアマゾンから連れ帰ったブロントザウルスがロンドンの街で暴れます


さて、最初の写真に関しては、真贋の決着がついているらしいのですが、まあ本物でも偽物でも、はっきりとした事がわからない方が、こういう事は楽しいんですけどね

1930年代といえば、小型カメラが一般に普及し始めた頃です
日本でもライカやコンタックスが発売され、カメラブームが起こっています

手軽に屋外でもスナップ的に写真が撮れる、そんな時代に生まれたのがネッシーなのかもしれません

いろんな説がある中で、私の好きなのがこれ

ネッシー02
ネッシー03

サーカスの象が、湖で泳いでいる説

グラスゴー大学内の博物館に勤務する古生物学者のニール・クラーク博士が唱えたそうで

こういうのを思いつく人もエライですね
posted by nakaco at 09:59| Comment(4) | TrackBack(0) | 昭和前半期