2014年02月12日

冬季五輪 1928,1936

冬季オリンピック開催中。

がんばれニッポン!ということですね。

さて、我が国の冬季オリンピック史は、1928年、スイスのサンモリッツ大会から始まります。

サンモリッツ大会 1928 ポスター

昭和三年の事です。
冬季オリンピックとしては第2回大会、第2回から出ていたんですね日本。
参加25ヶ国中ヨーロッパ以外では、カナダ、アメリカ、メキシコ、アルゼンチン、日本、ということになっています。

サンモリッツ大会 1928

開会式、選手宣誓をしているのはハンス・アイデンベンツ選手。
日章旗も見えますね、旗手は高橋昴選手。

サンモリッツ大会 日本選手団

日本選手団、総勢7名
左から、永田実 竹節作太 麻生武治 矢沢武雄 伴素彦 高橋昴の各選手、そして役員の廣田戸七郎氏です。
ジャンプの伴素彦選手は北海道大学、それ以外は早稲田大学スキー部だそうです。
留学中の麻生武治氏以外は、シベリア鉄道での欧州入りでした、大変でしたね。

成績は思わしくなかったようで、一番の好成績がクロスカントリー50Kmでの永田実選手の24位というものでした。

麻生武治選手いわく「今後に備えての見学が主目的」だそうで、しかしこれはけして負け惜しみだったわけではなく、彼等が持ち帰った本場の競技体験は、その後の我が国のスキー技術の向上に大いに貢献した、という事です。

麻生氏は4年後の第3回レークプラシッド大会の日本選手団監督として再び五輪に挑む事になります。


ところで、今回もフィギュアスケートにメダルの期待が集まりますが。

フィギュアスケート競技で日本人が初めてオリンピックに挑戦したのは、1936年(昭和11)ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヒェンで行われた第4回大会でした。

稲田悦子選手 1936

あら可愛らしい、この方が我が国初の冬季五輪女子選手、稲田悦子嬢、当時12歳だそうで、今も残る五輪最年少記録です。

ガルミッシュ・パルテンキルヒェン大会 フィギュアスケート

右から2番目、ひときわ小さな稲田選手、日の丸付いてます。

稲田悦子選手衣装

この衣装は、国立競技場スポーツ博物館に展示されていますよ。
写真:JOCホームページ

結果は26人中10位、がんばりました。

この大会で三連覇を果たした当時の女王ソニア・へニー(ノルウェー)をして「近い将来必ず稲田の時代が来る」と言わしめたとか。

当時のオリンピックは、夏季大会と冬季大会は同じ国で行われる慣習があったそうで、東京オリンピックの開催が予定されていた1940年には、札幌冬季大会も予定されていました。
稲田選手にメダルの期待が寄せられましたが、日本でのオリンピックは夏冬ともに開催される事はありませんでした。

札幌大会 1940

日本が冬季五輪に復帰するのは1952年のオスロ大会で、稲田さんは28歳、現役を引退した年でした。

その後は指導者として、若い選手を育てていたそうです。

「五輪は参加することに意義があるなんてうそ。本番のたった一回のチャンスに成功し、一位にならなくちゃ」

なんて言葉を残したそうです。
カッコイイ。

稲田悦子選手とカール・シェーファー

ガルミッシュ・パルテンキルヒェン大会にて
男子金メダリスト、カール・シェーファー(オーストリア)と

がんばれニッポン!
 
posted by nakaco at 00:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 昭和前半期
この記事へのコメント
イマイチ盛り上がりませんね、今回の大会。
四輪なったりとか、どーでもいい事ばかり目につきます。
しかしコチラの記事の選手や大会会場のほのぼのしていること。
プレッシャーとか、なさそうですね。
フィギアの稲田さん、知らなかったです。
戦争って色々悲劇を起こしますが、この悲劇も残念ですね。
Posted by ガチ坊 at 2014年02月14日 06:41
>ガチ坊さん
こんにちは
昔の冬季オリンピックはヨーロッパの田舎で行われていたイメージで、なんだか牧歌的な印象ですね。
それにしても日本人は昔から冬のスポーツにも一所懸命で、ジャンプ競技やフィギュアスケートの大会なんかも大正時代から行われていたらしいですよ、スゴイですね。
Posted by NAKACO at 2014年02月14日 11:58
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