2013年08月13日

勝手に挿絵 12

さて、久しぶりに新しい絵を描きました。
勝手に挿絵、その12。
今回は久生十蘭作「だいこん」より。
昭和22年1月から23年8月まで、雑誌「モダン日本」に連載された長編小説です。

青空文庫で読む

久生十蘭 だいこん
 あたしの手をひいて、方々へ連れて歩いてくれたシゴイさんのやさしい手に触るのも、これが最後だと思うと、そうやすやすとはやれないけど、まごまごしていると死んでしまう。あたしはそっと手をだした。シゴイさんが歎息するようにいった。
「お前はそんなやさしいところもある娘なんだな。ふしぎなやつだ」
 シゴイさんの手があたしのほうへ伸びだしたまま曖昧に宙に浮いていたが、急に折れたように寝床の上へ落ちた。軍医長が椅子から立ちあがると、入口に立っていたひとにいった。
「看護長、カンフル」


物語は昭和20年8月15日の日本敗戦の日から、9月2日の降伏文書調印式までの数日間を、主人公である「だいこん」と呼ばれる17歳の娘をとおして描いたものです。

小説や映画でよく見る庶民の終戦記とはやや趣が違う、いまでいうセレブですかね、そういう層の人達の終戦記、という事になりましょうか。
十蘭らしい華やかな洋行生活なども描かれています。

主人公「だいこん」の容貌は、
 平気な顔ってどんな顔のことか知らないけど、あたしの顔は生れつきこんなベティさんみたいな顔なんだ。頭の鉢はうんとおっぴらき、眼はびっくりしたようにキョロリとし、鼻は孫の手みたいにしゃくれている。おかあいらしいなんていってくれるひともあるけど、それはフロイドのれいの〈言いちがい〉というやつで、じつのところは〈変っている〉というつもりだったのにちがいない。夕陽があたると、火がついて燃えあがるかと思わせるかのふしぎな赤毛は、年頃になるとすこし下火になったが、脛のほうは時代とともに太くなって、どう見てもスラリとしていますなんていえない。

挿絵は物語の後半にある退艦式の告別舞踏会で昔なじみのシゴイさんに会うところ。
この時のドレスは
白のジョーゼットの釣鐘裾《クローシュ》だ。白のジョーゼットのほうはちょっとドガの踊り子のようになる。園遊会には向くがサロンにいると子供っぽく見えるおそれがある。
ということです。
白のジョーゼットの釣鐘裾がどういったものかよくわかりませんが、ドガの踊り子というのを参考にしてみました。


この作品が青空文庫で公開されたのは昨年(2012年)の8月15日でした。
偶然ではなく意図された日付なのでしょう。
8月にこの小説を読む、というのはちょっとオススメです。
これまでと違った視点から終戦、あるいは敗戦を見てみることが出来るかもしれません。
 この調子だと、パパの苦虫は永久につづくのだろうとあきらめていたが、降伏の申し入れをした十日の夕方、役所から帰ってくるとニコニコ笑いながらママにいった。
「これからは辛いぞ。貫太郎さんは血と涙の生涯といったが、ほんとうだ。だがその時を越えれば、戦前の日本よりよくなる。希望をもとう」
 それからあたしにいった。
「だいこん、お前だけだよ。そのいいときを見られるのは」
この小説が書かれたのは昭和22〜23年、すでに新憲法は公布されています。
十蘭はその先の日本にどんな希望を持っていたのでしょう。
 涙あふるる思い。だがものは考えようだ。日本は参ったが、なくなったのではない。古い日本の終りは新しい日本のはじまり。女神アグライアの死体からアネモネの花が咲きだしたように、古い日本の土にだっていつかは新しい花がひらく。
〈一つの植物が花を咲かせない間は、それがどんなに美しいだろうと望みをいだく。すべてまだ花が咲かないものはどんなに多くの空《むな》しい夢に包まれていることだろう〉とジイドがなにかでいっていた。
 この咏嘆は意味はなすが意義はなさない。空しいか空しくないか、咲いてみなければわからない。希望をもつことは空しいといって、希望せずにいられるものだろうか。千島も、樺太も、朝鮮も、琉球も、台湾もみななくなって、せいぜいアメリカの一州ぐらいの大きさになってしまったかわりに、日本人は戦争で死ななくてもよくなり、ほかの民族を統治しようなどと柄にもないことをかんがえることもなく、狭いながらも水入らずで楽しくやって行けることになった。原子爆弾の洗礼を受けたのは日本だけだから、自らの体験によって、これからの戦争は危険だと警告する役をひきうけ、世界平和を建設するための有効なアポッスルになり得る。あの方が考えていられるように、戦争放棄の新しい憲法でもできたら、咲く花は小さくとも、世界に二つとないユニークな花になるだろう。
最近の日本では、平和憲法を有難がる人は現実を見ない夢想家だと思われてしまうようです。
あの日の希望は、いつのまにか夢まぼろしになってしまったのでしょうか。

なんて思うような今日この頃であります。
 


タグ:勝手に挿絵
posted by nakaco at 20:55| Comment(2) | TrackBack(0) | Illustrator
この記事へのコメント
毎年の事ながら、終戦の日は少しウツですね。
沢山の若い人が無目的に特攻したり遠い戦場で命を落とされましたから・・・。

あのエネルギーが別の事に使われていたら、日本はとても凄い国になったと思います。

残った人が戦後を立て直して行きましたが、戦前と戦後の映画や文学、漫画、音楽等すべて明治の頃の教育の賜物なのか、情感表現や目線が優しいですね。そんな表現メディアも戦後の三十年代中盤から映画も文学も漫画もなんだか・・・ですね。

日本らしい情感の時代、庶民の経済や生活は大変だったようですが、それも含めて良き時代だったのかも知れません。ワタシは今年も十二時に宮城方面に向かって感謝の黙祷をいたしました。
Posted by ガチ坊 at 2013年08月17日 06:47
>ガチ坊さん
こんにちは
当ブログは昭和前半期を扱っていますが、戦争関連の話題はほとんど避けて来ております。
しかし八月になると、世間でそういう話題がたくさん出てくるので、ついこんなブログでもちょっと語ってみたくなるのかもしれません。
まあ一年に一度ぐらいは、戦争、あるいは平和、について考える時間を持つのも良いことかもしれませんね。
Posted by NAKACO at 2013年08月17日 16:36
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